ばったすいみんぐすくーる

公開中の映画作品を中心にネタバレ全開で独断レビュー。 映画興行収入などの映画情報も紹介。

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『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』レビュー 【映画】

◆評  価   5.5点
◆おススメ度  C(前作よりも格段に落ちる。子ども達に夢を与える作品にして欲しかった)

“普通”という評価が妥当の作品。
冒険映画なのに、まったく冒険していない映画だ。
実際に現存するアイテムや実在人物、史実といったリアリティを重視しているのかもしれないが、世界観がかなり小さく感じられる。
パリやロンドンに行ったからといって世界観が大きくなるものではない。
もっと夢のある世界に広げられないものだろうか。

ディズニー映画だからなのか、主要キャラクターを誰も殺すこともできず(一人死んだエド・ハリスがかわいそうだ)、どんどんとパーティーが増えているのが見苦しい。
パーティーが増えた結果、最後に随行する悪役がエド・ハリス一人になってしまうのが強引過ぎる。
そして、その肝心の悪役にも魅力が欠けるのが最大の失敗だ。
「彼はいったい何をしたかったのか」というほど目的が不明なキャラクターだ。
「汚名を着せて正直済まなかった」と謝るような悪役など要らない。
なんだかんだで「結局皆を救ってくれた善い人」というオチがディズニー映画らしくもある。
そういうオチにしたいのならば、初めからそういう脚本にすればよかったのだ。
エド・ハリスたちは、宝探しを自分たちでできないくせに、銃や車を使って、ニコラス・ケイジ達を殺そうとしているのがあまりにもナンセンスだ。
「彼らが探してくれる」とエド・ハリスはつぶやいていたが、言っている事とやっている事はメチャクチャだ。
宝探しを妨害したいのか、宝探しを便乗したいのか、ゴチャゴチャになっている。
要するに、何らかの障害がないと冒険アクション映画としての面白みに欠けるので、カーアクションや銃撃戦を入れ込むのだが、その構成が論理的ではなくなってしまっている。
自分ならば、エド・ハリスは優秀なトレジャーハンターという設定にして、ニコラス・ケイジのライバルという扱いにするだろう。
そして、彼らの邪魔をする第三者を別にきちんと用意すると思う。
ライバルであったが、最後に皆を助けて死ねば、オチとして盛り上がったことだろう。

また、脚本もイマイチよく分からないところがある。
“「ゲイツ家の汚名」を払拭するという目的”→“宝探しへという目的”にどうしてすり替わったのかがややピンと来ない。
宝物を探し出すことによって、なぜ「ゲイツ家の汚名」を払拭することになるのかを分かりやすく描くべきだろう。
子ども向けだからという理由で、メチャクチャなストーリー展開が許されるべきではない。

脚本だけではなく、演出も分かりづらいところがある。
肝心のエド・ハリスとニコラス・ケイジの重要なラストシーンのやり取りの扱いが雑だ。
「俺が残る」「いや、俺が残る」「じゃあ、俺が残る」「どうぞどうぞ」という流れではなかったと思うが、いつのまにかニコラス・ケイジからエド・ハリスへとポジションが変化しているのを不思議に思う者がいるだろう。
“激流によってああなった”とだいたいの流れはなんとなく分かるものの、一言で言えば演出がヘタクソなのだろう。

大統領の秘密の書類の47ページの謎は明かされなかったが、これは続編への布石だろうと思われる。
大統領だけが知る新たな宝物の謎が描かれていると思われる。
身内の内輪モメだけではなく、続編はきちんと世界観を広げて欲しいものだ。

ジョン・ボイトとヘレン・ミレンはアドバイザーに終始して、今度は冒険に付いてこなくていいだろう。
本作でもあまり効果的な使用方法ができていないので、重要な役柄を演じられないのならば登場しなくてもいい(誘拐されるオチはもうイイよ)。

ニコラス・ケイジとダイアン・クルーガーの異色カップルを不仲にするというアイディアは悪くないが、再び惹かれ合う過程を大事にしてもらいたいものだ。

息抜き役のジャスティン・バーサもあまりキャラクターとして活きていない。
ロンドンでは多少ハッキング能力によって活躍したが、お笑い・ボケ担当としてはそれほど活躍してない。
それだけではなく、ニコラス・ケイジとの友情のようなものをもっと感じさせるべきだろう。
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テーマ:ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記 - ジャンル:映画

『アイ・アム・レジェンド』レビュー 【映画】

◆評  価   5.5点
◆おススメ度  C(宗教映画に近い仕上がり、単純なアクションを楽しみたい人には向いていない)

息が詰まりそうな緊張感ある展開、地球最後の男の細かい日常的な生活描写、ウィル・スミスの熱演、犬との友情など、見所は多数あるが、ストーリーはそれほど面白いとは思わない。
というのは、本作の根幹にあるのは、“神”の存在・不存在にあるからではないか。
この要素が入ると、日本人にはちょっと苦しい気がする。

人類が滅亡し、自分の妻子も失い、神を信じられなくなった主人公が、ラストで“神の声”らしきものを聞いて、自分の使命を確信し、使命を遂げた後に、亡くなった妻子の下に帰るというのが本作のテーマである。

なぜ、ラストで手榴弾を放って、自分も助かろうとしなかったのかというと、血清を作成し、人類を救うという自分の使命さえ果たせば、自分の命などどうでもいいのである。
生き永らえることが彼の目的ではなく、家族の下に向かうのが彼の願いだと考えられる。

家族の下に向かうのが彼の願いだとすると、“自殺”すればいいのではないかと思われるが、そうさせなかったのも“神の意思”だったと解釈するしかない(彼が免疫者だったのも“神の意思”ということになる)。
しかし、本作では、彼は一度“自殺”を企てている。
犬(サム)という大切な仲間を失った際、自暴自棄になったウィル・スミスはダークシーカー達を道連れにして、死のうとしている。
仲間という唯一の絆を失って、一人では生きていけないと考えたのだろう。
あのとき死ぬつもりだったのは間違いない。
だからこそ、助けられた朝、彼の様子がおかしかったのである。
別に、取っておきのベーコンを食べられたから、様子がおかしかったわけではない。
あのとき、女性に偶然助けられたのも、女性が語ったように“神の意思”ということになる。

“神の意思”というテーマがある以上、人類が滅亡するわけはないのである。
難なく最後に村に到着し、血清を手にした人類はきちんと生き永らえる。
普通ならば発生源のニューヨークから逃げ出すはずなのに、逃げずに自分の身を研究に捧げて、自分の使命を全うし、人類を救った彼は“(神の勅命を受けた)伝説の男”となったわけである。

単純なゾンビ系アクションではなく、“神”というテーマを根幹に添えたため、やや面白みを欠いている。
ヘリコプターでの妻との別れの際にも、祈りを捧げており、深い宗教性があるのは間違いないだろう。
前半はその色が薄いので日本人でも楽しめるが、後半はその色が濃くなってくる。
アメリカでクリスマス間際に公開されるのも少々意味があるのではないか。
単純な映画を楽しみたい日本人には、どう考えても向いていないだろう。

テーマ:見た映画の感想 - ジャンル:映画

『椿三十郎』レビュー 【映画】

◆評  価   6.5点
◆おススメ度  B(それほど悪くはないが、強いて薦めるものでもない)

オリジナルは未見。
“黒澤映画”はどこか神格化されてしまっているような気がして、自分が踏み込む領域ではないと思い、敬遠していた。
今回のリメイク作品を鑑賞するかどうか悩んだが、“黒澤映画を知らない世代”である自分がオリジナルを観ずにリメイクを観ることで、他の人とは違う感じ方や、他の人とは異なったレビューができるのではないかと考えたため、鑑賞することとした。

一言でいえば、“普通に面白い”というところか。
角川映画だからかもしれないが、変なところにチカラが入った気合が、逆に新鮮に感じられる。

ODAも相当気合が入りまくっており、彼のキャラクターには魅力を感じられた。
しかし、「ものわかりが良すぎる」のが欠点だろうか。
「鞘に収まらない刀」という設定の割には、彼は「いい人」過ぎる。
外見は粗暴であるが、中身はそれほど悪い人ではないというところまでは同意できる。
しかし、本質であるコアな部分は「鞘に収まらない刀」であるということをきちんと描いて欲しかった。

切りたくなくても人を切らざるを得ない性分、
争いごとに巻き込まれて困惑するのではなく、争いごとにクビを突っ込まざるを得ない性分を描いてこそ、「鞘に収まらない刀」なのではないか。
残り9人に慕われるのではなく、最後の最後には残り9人から嫌悪されるようになってこそ、本作の深みが増すような気がする。
エンドクレジット中に背を向けて一人歩く彼の姿に、彼の孤独がみえない。
“狼”はいくら頑張っても“羊”や“兎”にはなれないという孤独があってもよかったのではないか。
単なるヒーローモノとしては“普通に面白い”が、“傑作”にはなり得ない作品だ。

その他に気になったのは以下の二点。
①監禁された城代の護衛の手薄さ
②ODAと豊川の対決時の風の音

①監禁された城代の護衛の手薄さ
あまり斬り合いを描きたくないというストーリー展開上、やむを得ないのかもしれないが、監禁された城代がいるのに護衛が一人もいないというのはやや興ざめだ。
いわゆる「ご都合主義」というやつではないか。
「ゼロ」というのはナンセンスであるため、「少数」にしておけばよかったのではないか。
冒頭のODAと数百名との殺陣をみても分かるように、相手方もそれほど戦い慣れていないという設定である。
9名が勇ましく勢いよく乗り込めば、数十名程度の相手ならば斬り合わなくても制圧できたはずだ(乗り込んできた者が百数十名だとビビッているはずだから)。
そうすれば、残り9名もODAとの出会いにより、少々サムライらしく成長したという点も描けたのではないか。
本作では、縛られたODAを救出するという中村玉緒でもできること以外、まるっきり仕事をしていないことになってしまう。
ゼロというよりもマイナスの役割であり、単なる邪魔をしていただけだ。

②ODAと豊川の対決時の風の音
二人の対決時の効果音として、「風の音」「草木が揺らめく音」などが盛り込まれていた。
この演出自体は緊張感を高める効果としては悪くないと思うが、肝心の“風”がほとんど吹いていないのが問題だ。
“風の音”はするものの、“風”が吹いていないという状況に、観客の気を取らせてしまうようでは、演出家としてどうなのだろうか。

なぜ“風の音”の演出が必要かというと、最大のクライマックス時に“まったく音がしない”という演出をしたいがためである。
“まったく音がしない”という状況を効果的に描くためには、何かの“音”を立てる必要があった。
“まったく音がしない”という状況を効果的に描くためには、何かの“音”を立てるという演出は、理にかなっていると思うが、プロとしてとことんこだわるのならば、きちんと“風を待つ”という姿勢が大事なのではないか。

大袈裟な“爆発音”や“刀で切った際の効果音”を入れるのと大差ないのではないかと思う人もいると思うが、本作では「爆弾が爆発していないのに爆発音が鳴っている」のと状況は同じである。

人をいくら切っても血が出ないことにはまったく違和感を覚えないのだが、こういう部分には違和感を覚えてしまう。

テーマ:◎椿三十郎◎ - ジャンル:映画

『SAW Ⅳ』レビュー 【映画】(改訂版)

◆評  価    4.0点
◆おススメ度   C(自分が単にストーリーを理解できなかっただけかもしれない
が)

Ⅰ~Ⅲまでは、是非はともかくとして、そのアイディアには毎度唸らされてきたが、
Ⅳははっきりいって何かすっきりしない。
ラストのオチが分かっても、「それで・・・?」という感想しか出てこないのだ。

新たな犯人の謎や動機を明かさないままで終わるというのは、Ⅴ以降の続編で描くという魂胆がミエミエであり、あまり好ましい手法とは思えない。
また、「ジグソウ」の哲学やゲームもどこかへ消えてしまっているようにも思われる。
確かに、マシューズ刑事は一度ゲームに失敗しているが、自己の脚を犠牲にして部屋から抜け出しており、ジグソウの理念に則れば、ゲームにクリアした者ではないのか。
単なるゲームの駒にしてしまったのは、新たな犯人の思想なのだろうか。
ゲームをクリアしたのに、再びゲームを手伝う弁護士など、単に私怨的な面が多数描かれているのが残念だ。

おかしな方向にストーリーを複雑化してしまっており、「Ⅰ」のような面白いアイ
ディア一つで乗り切った勢いが吹っ飛んでしまっている。
悪い意味で洗練されてしまった感がある。

本作で製作者が狙った仕掛けとしては、
①時間軸のズラシ方(前作「Ⅲ」と同時進行している)
②黒人SWATに課せられた「助けようとしなければ助かる」というゲーム
だと思うが、この二点はどちらも「Ⅱ」で似たような思想が描いており、焼き直し的に感じる。

①時間軸のズラシ方(前作「Ⅲ」と同時進行している)
「Ⅳ」が「Ⅲ」と同時進行的に起きているというネタの効果が薄いのではないか。
ネタが分かっても、それほど衝撃がなかったように思われる。
冒頭にジグソウの解剖を念入りに行い、「ジグソウは死んでいる」と観客をミスリードさせるという製作者の技術は評価できるが、上手くそれを利用できていないと思う。
時間軸を観客にミスリードさせるのであれば、再び生きたジグソウを登場させた方がまだオチとしては面白い。
又はⅠ~Ⅲで死んだ人間を偽ジグソウに仕立てるなどの方法もあっただろう。
Ⅲでちょっと出てきた怪しい刑事よりも、死んだ人間が真犯人だったら、普通の人間ならば驚く。

②黒人SWATに課せられた「助けようとしなければ助かる」というゲーム
黒人SWATにゲームをさせることの目的、趣旨、効果が薄い気がする。
黒人SWATにゲームを経験させて、ジグソウと同じ考え方を身につけさせ、後継者に仕立てたり、「法律による裁きの限界を憂う者」を後継者に仕立てるというネタの方がまだしっくりとくる。
また、「刑事としては人を救えない(裁けない)」が「ジグソウとしては人を救える(裁ける)」というメッセージをもっと込めてもよかった。
何のために、無罪となったデブのホテルフロントや、自分の子どもを虐待する者をゲームの駒に仕立てたのかが薄くなっている。
しまいには、黒人SWATを中途半端に殺してしまい、「助けようとしなければ助かったのに」という“諌め”的なメッセージもあまり感じられない。
やはりゲームが完全燃焼していない気がする。

Ⅲまでが一つの区切りであり、Ⅳはもっと大胆に変更を加えるべきではなかったか。
「新たなゲーム」や「新たなルール」を描いてもよかった。
シリーズを続けるのならば、世界観をもっと広げて欲しかった。
同じ人間が何度も出てくるのは、世界観が狭すぎる気がする。

Ⅴは時間軸がまた戻って、「後継者の誕生」でも描くつもりだろうか。
彼もゲームの経験者で、クリアして後継者になったという流れでは、アマンダと同じになってしまうので、かなりの工夫が必要だが、どうなるだろうか。

テーマ:SAW4 - ジャンル:映画

『ベオウルフ』レビュー 【映画】

◆評  価    8.0点
◆おススメ度   A(この技術は必見)

本作をどのようにジャンル分けしていいか分からないが、一応CGアニメというべきなのだろうか。
ゼメキス監督が以前手掛けた「ポーラーエキスプレス」ではまだ違和感があったが、もはや実写とアニメの境界線が消えたといっていい作品だ。

ストーリーに深みはないが、視覚面だけで大いに楽しませてくれる。
個人的には、十分満足できる映画だ。

細部の作りこみにも熱意が込められている。
火葬の際に仲間の兵士が泣いていたり、ベオウルフとマルコヴィッチが論争をしている際にホプキンスが寝ていたりと、なかなか芸が細かい。

足りないのは以下の二点だろうか。
①「本当の強さ」「真の英雄とは」という視点
②“親子対決”という視点

①肉体的な強さだけが英雄の条件ではない。様々な「誘惑」を断ち切る精神的な強さも真の英雄には求められるという点が少々物足りない気がする。
「自分ははるか昔に死んでいる」「悪夢に数十年間うなされる」等、ベオウルフの長年の苦悩が描かれているが不十分である。
アンジェリーナ・ジョリーとの“契約”の際に、“地位”や“富”を選ぶのか、“英雄としての名誉”を選ぶのかというベオウルフの葛藤をもっと加えると、「真の英雄とは何か」というテーマに深みが増したと思う。

②ホプキンスの息子は決して、ホプキンスに攻撃を加えなかった。また、自分の息子が死んだ際のホプキンスの表情には少々悲しみも窺われた。
ベオウルフ親子の戦いのラストには、二人はやはり親子だったという点が描かれているが、バトルの際にもそういった視点を盛り込んでもよかったのではないか。
ドラゴンには心がないのかもしれないが、ベオウルフには心があったはずである。
戦いながら、自分の息子だと分かっていたはずである。
自分の犯した過ちを悔いながら、己に課した呪縛を解こうという彼の決断の重さが少々足りなかったと思う。

テーマ:ベオウルフ 呪われし勇者 - ジャンル:映画

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