◆分かりやすさ A(難解さゼロ)
◆おススメ度 B(過去の恋愛を忘れることができない人々にはおススメ)
イギリスに行ったキャメロンディアスはジュードロウに会い、アメリカに行ったケイトウインスレットはジャックブラックに会い、失恋した二人の女性がお互い再び恋に落ちるという話ではないかと、事前に単純に思っていた。
しかし、設定はそれほど単純ではなく、結構面白い設定がなされていた。
ケイトウインスレットはいいように利用されてしまっている長年の片思いの男性を忘れることができない。
キャメロンディアスは仕事第一人間で、恋愛に不感症になって涙を流すこともできない女性という設定がうまいと思う。
キャメロンにはあまり恋愛の深みにはまりたくないという様子も見受けられる。
また、自分のことであっても、自分の「予告編」が頭に浮かんでしまうというキャメロンの設定は、ナンシーマイヤーズらしいユーモアのあるところでもある。
ストーリーもまったく単純ではなく、さらに面白い仕掛けがなされている。
キャメロンディアスのイギリス話にはシングルファーザーを、ケイトウインスレットのアメリカ話には、老人脚本家を盛り込んだことで、思わぬ展開となり、ストーリーが豊かに盛り上がった。
設定の細かさや、ユーモアや優しさの溢れるナンシーマイヤーズ映画は健在だ。
ナンシーマイヤーズ作品を見たことがない人や、「恋愛適齢期」などを見たことがあるけれども、既に内容を忘れてしまった人には、本作は好評だと思う。
しかし、最近「ファミリーゲーム」「恋愛適齢期」を見直した自分にとっては、本作は過去の作品の焼き直しではないかと感じてしまう。
イギリスとアメリカの双方を描くのは「ファミリーゲーム」の設定と同じである。
双子の姉妹が活躍する「ファミリーゲーム」のように、本作には姉妹が登場する(リンジーローハンのカメオは恐らく「ファミリーゲーム」の繋がりだろう)。
高齢者の恋愛を描いた「恋愛適齢期」と同じではないが、「恋愛適齢期」でも高齢者を取り上げている。
特に、ラストが相変わらずのワンパターンなのがいただけない。
トニースコット以上にハッピーエンドにこだわっているように感じられるのである。
<ネタバレ注意>
「帰ると見せかけて、帰らない」※キャメロン
「去ったと見せかけて、戻ってくる」※ジャック
「復縁したと見せかけて、破局させる」※ジャック・ケイト双方
「女がいると見せかけて、女はいない」※ジュード
「○○と見せかけて、△△する」というのは、いつものナンシーマイヤーズ映画の特徴通りであり、その見せ方の仕掛けにもいつも以上に工夫が足りない。
せっかく二組の男女を描いているのだから、もう少し工夫が必要だろう。
思い切って、一方はハッピーエンド、他方はバッドエンドという割り切りもできなかっただろうか。
そうすれば、恋愛の幸福な気持ちと、悲恋の悲しい気持ちの、両方を味わえる傑作に仕上がったような気がする。
愛しているのに結ばれることがない関係というのも描いてよかったのではないか。
自分が脚本家ならば、ケイトとジャックの関係は結ばせて、ジュードとキャメロンの関係は別れさせただろう。
ケイトとジャックは都合のいい関係を双方清算できたのだから、新たな関係に向かっていけると思う。
ジュードとキャメロンの関係はそれほど単純ではないだろう。
キャメロンの恋愛不感症が治り、涙を再び流すことで、キャメロンの新たな一歩が始まるという終わり方でもよかったのではないか。
イギリスとアメリカ(LA)という世界の裏側同士の恋愛には距離の壁という問題が生じるのに、このあたりの設定もうやむやにしてしまっているのも残念だ。
「あなたが愛している人は、単にあなたの好意を利用しているだけだから、目を覚まして、新たな恋愛に進みなさい」というような極めて現実的なメッセージを込めている割には、非現実的な終わらせ方しかできないという矛盾を感じてしまう作品だ。
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