ばったすいみんぐすくーる

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『ハンニバル・ライジング』レビュー 【映画】

「なんの葛藤もない、ただの復讐劇…。」

◆評  価    6.5点
◆分かりやすさ  A (極めてシンプルなストーリー)
◆おススメ度   B-(シリーズの中の一本としては観る必要はない)

【本作の印象】
「ハンニバル・レクター」シリーズとしてではなく、単なる復讐モノとして観るのであれば、本作はそれなりに観られる内容にはなっている。
しかし、どう考えても、ハンニバル・レクターの「誕生」を本気で描くような映画にはなっていない。
本作は、「モンスターの誕生」を描くという映画ではなく、なんの哲学もない、ただの殺人鬼の映画だ。
一番安直な作り方をしていると感じさせる。

【5人の復讐の対象者】
もったいないと感じるのは、妹を殺した恨みを晴らす相手が5人もいるのに、なぜ同じような人間しか登場させないのかという点だ。
確かに、子ども持ちになった者やカナダへ逃げた者もいるが、基本的には彼らはみな「悪役」でしかない。
もっとバランスを考えるべきではないか。

映画で描かれているように、そのまま悪人になった者ももちろんいるだろう。
他方で、戦争の記憶を忘れて、「善人」として生活している者がいてもいいのではないか。
成功した者がいてもいいし、逆に落ちぶれた者もいてもいい。

しかし、本作では、どれもこれも殺すに値する人間ばかりで、彼らを殺したところで、何の面白みもない。
殺すかどうかをレクターが葛藤する余地がないのである。

レクターが復讐を果たした者は以下の5名である。
①リトアニアの山小屋で馬の力で窒息死させられた男
②フランスの病院で溺死させられた男
③子どもを抱える父親(ナイフで一刺し)
④リーダー的存在
⑤カナダへ逃げた男

なかなかヴァリエーションに富んでいるものの、本作の描き方では、単なる殺人ショウでしかない。
殺しに対する「ストーリー」や「哲学」がないのである。

もし、自分が脚本家だったら、以下のような「流れ」を構築するだろう。
最初からレクターが「完成」している必要はないのだ。
最後にレクターが「完成」すればよい。
彼は何年たっても「妹の死」の呪縛から開放されない弱い人間なのだから。

①レクターの初めての殺人
②殺人に対する快楽及び若干の疑問
③殺人に対する深まる疑義
④殺人に対する虚しさと裏切り
⑤「無感情で人を殺す」レクターの完成

最初の復讐劇の前に、既に肉屋殺しという「殺人」を経験しているのも、個人的には好きではない。
「妹の死」という呪縛からの開放が、「殺人」へと駆り立てる要因とすべきだろう。
本作の描き方では、妹が死んでいなくても、やがて「殺人者」になっていたと言っているのと同じことだ。

したがって、①で初めての殺人を経験させるべきだ。
次第に殺人への快楽に溺れ、②③への殺人へとエスカレートしていく。
しかし、一方で、殺人や復讐に対する「疑義」が生じた方が面白い。
彼にも「人間的な部分」があることを観客に示した方がより共感は得られやすい。

④のリーダー格のあたりで、「復讐」を止めようとレクターに決意させた方がよりストーリーとしては締まると思う。
自分を精神的に助けてくれるムラサキのためにも、復讐をやめて、彼を警察に突き出そうという心変わりをしてもいいのではないか。
しかし、リーダー格の一言「オマエも妹を食ったんだ」という言葉で、彼の精神を完全に破綻させる。
いったんは「人間」に戻れるチャンスを得るが、最終的には血も涙もない「モンスター」が完成するのである。

最後の⑤の殺人は、本作に描かれているように、一切の躊躇もなく殺人を行い。彼が完全に完成したことを示せばいいと思う。
彼にとって、「殺人」を行うことが、感情を伴うものでなくなったことを最後に示して、幕を閉じればよい。

【本作の意図】
『レクターには「殺人」に対する葛藤など微塵もない』というのが、本作の意図であったかもしれない。
レクターは、後天性のモンスターではなく、先天的にモンスターであったという解釈もできよう。
それならば、もう少し「殺人」に対して、芸術性や天性の才能を示すべきだろう。
死体の腕を利用して、不意をつく程度しか感心する点がない。
単に反射神経が優れていたり、ラッキーの賜物という描き方では、物足りないと思っても致し方あるまい。

【最初の殺人の意味】
一連の復讐劇が始まる前に、肉屋のおっさんを殺していたが、あれは如何なものかと思う。
確かに、レクターは実際に無作法な者や音程を外す演奏家などを殺したりしているが、あの時点において、単にムラサキに無礼な口を聞いたから、殺すというのはただのチンピラと同じだ。

復讐劇が開始する前から、「殺しの味」を知っているというのは順序が違うのではないかと思う。
「殺しの味」を知ったから、快楽殺人へと発展していくのであるはずだ。

あれが引き金になって、「復讐劇」がスタートするという見方もできなくないが、あまりにも手際が良すぎると思う。
そういう趣旨を込めるのであれば、突発的な事件で人を殺してしまい、人を殺す快感を得るという流れにすべきだろう。

【レディ・ムラサキの存在】
また、本作の問題点としては、脇のキャラクターが機能的に働かなかったこともあげられる。
まず、レディ・ムラサキの存在もあまり機能的ではなかった。
彼女は、「モンスターの誕生」を阻止する役割を担うべきではなかったか。
母親の代わりの存在として、または姉のような存在として、あるいは恋人の存在として、復讐を止める者であってよかったはずだ。

一旦は、ムラサキのために、「復讐」を諦めるものの、何かの要因で再び「復讐」をするという流れでもよかっただろう。

行き場のなくなったレクターを保護したり、武道を教えたりしているものの、精神的な意味において、ムラサキの存在価値がない。
レクターの初恋の相手としても利用価値があるのに、もったいないという言葉しかでてこない。
最後の「愛」の件(くだり)がまるっきり活きてこない描き方だ。

【警察の存在】
警察の存在もはっきりいってまったく要らない。
ストーリー的には警察の存在は何も機能していない。
そもそも、ハンニバル・レクターという人物は、「レッドドラゴン」でグレアムに捕まる前は、犯罪心理学の権威であり、著名な精神科医であったはずだ。
FBIから助言を求められる存在なのに、フランスの警察からはっきりとマークされる存在として描くというのは、いったい何を考えているのかよく分からない。

【まとめ】
本作は、殺人鬼「ハンニバル・レクター」として完成する前の映画である。
不完全の存在であるため、彼の生(なま)の「苦しみ」や「葛藤」を唯一理解できる機会であったが、共感などができるはずがない凡作となってしまった。

ちなみに、過去の作品については以下の評価をしている。
「羊たちの沈黙」 8点
「ハンニバル」  8.5点
「レッドドラゴン」7点
「マンハンター」(※「レッドドラゴン」オリジナル)6.5点

「ハンニバル」の世間の評価は低いが、この作品はとても素晴らしい作品だ。
レクターの視点が強く打ち出されており、非常に美しくもあり、芸術的でもある。
レクターがいかにクラリスを愛しているのかが分かる究極のラブストーリーといってもいい作品だ。
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テーマ:ハンニバル・ライジング - ジャンル:映画

コメント

映画版みました。構成面で大胆な改変がなされていたようです。肉屋のくだりは原作では彼の天才的殺人者としての人格の覚醒を促すトリガー的場面だったように思います。原作で登場していた伯父の存在を映画ではすでに死去していたという設定で省いたために、レクターの殺人の動機が弱くなってしまったようですね。あれではただの衝動的殺人者でしかない。同じ殺人であってもスジの通らない行動になってしまっていました。

  • 2012/05/21(月) 18:33:51 |
  • URL |
  • ナナッシー #vZbA1Su2
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紹介

日本語の起源 言霊百神

kototama 100 deities

  • 2014/10/25(土) 19:09:51 |
  • URL |
  • 辻 #-
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  • 2014/11/13(木) 21:11:57 |
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