ばったすいみんぐすくーる

公開中の映画作品を中心にネタバレ全開で独断レビュー。 映画興行収入などの映画情報も紹介。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』レビュー

◆評  価   5.0点
◆おススメ度  B-(ラストでも強いて見る必要はない)

ドラマ版をリアルタイムで興奮しながら見ていた自分の中では、映画版の2・3の酷さから、ほぼ地に落ちたと感じているシリーズであるが、ラストという触れ込みもあり、惰性で鑑賞した(最近のSP版は見てない)。
本作は2・3に比べると、そこまで酷くはないが、やはり体質は変わらないようだ。
君塚良一の脚本が復活することはなかった。
リアリティを無視したコメディタッチのフィクションとはいえ、素人の観客が見て、メチャクチャだと思うような脚本は書いて欲しくなかった。

殺人・誘拐事件、ビール誤発注事件、恩田すみれの退職が本作の柱となっている。
殺人・誘拐事件については、6年前の事件が引き金となっている。
しかし、6年前の事件が果たして今回の事件の引き金となるような事件なのかははなはだ疑問だ。
組織の構成員かつ公務員である以上、定められた規則及び上層部の命令に則って、誘拐犯との交渉を打ち切ることは何も悪くはない。
お役所的に時間だけで区切るという問題はあるにせよ、交渉の成果が得られない場合には、ローラー作戦の移行によって成果を得られる可能性もあるかもしれない。
本作ではよく責任を取るというセリフがあるので、その判断の失敗は当時の上層部が責任を取ったのではないか。

今回の事件を上層部の指示に従って捜査すると事件の処理がメチャクチャになると鳥飼は実践したかったように思えるが、6年前の事件も上層部の指示というよりも警察の隠蔽体質、情報隠しを問題にすべきではないか(マークしている久瀬に警察署から逃げられる方がそもそも理解不能でそれ以前の問題)。
6年前の事件の問題点が今回の事件の問題点と上手くリンクしているようには思えない。
鳥飼たちの、犯人を殺す、警察組織を糾弾するといったところまでは少しは理解できるが(犯人が無罪になったのは検察や司法の問題のような気もする)、真下の子どもを殺そうとする動機がさっぱり分からない。
製作者も誰も分からないためか、恩田のバス突入という荒業で全てをウヤムヤにするという“踊る”体質は健在だ。
そもそも、上層部の指示を悪と捉え、指示を無視することや自己判断を善と捉え、組織にはリーダーも規則も不要だと決め付ける君塚の脚本にはやはり付いていけない。

ビール誤発注事件についても、部下に任せて、ろくに確認もせずに判子を押して、自己のミスを隠蔽し、上司に発覚したところ、上司の命令で組織的に隠蔽するという流れとなっている。
本事件の構図と本シリーズで糾弾している警察機構と似ている。
青島たちはそういう構図を嫌っているはずなのに、何故それを青島たちに同じことをやらせるのかよく分からず、脚本の目的と効果を知りたいものだ。
誘拐事件が終わり、「お疲れ様でした」と関係者に配り、結局ウヤムヤとなってしまった。
隠蔽やウヤムヤではなくて、ミスをした際に組織としての対応を描かないと意味がない。
署長の真下を巻き込むのではなくて、せっかく冒頭の唐揚げ店で儲けが出ているのだから、それで処理するといったオチでも良いのではないか。

恩田すみれの退職についても、都合の良い“後遺症”という一言で済まそうとしている。
その手法も不満(青島が後遺症で倒れるシーンをCMに使うのも観客を騙す手法であり不満)だが、身体的に無理を抱えているのに、無理やり警察を続けさせることが青島の恩田に対する“愛”なのかという気もする。
正しいことができない警察という仕事に嫌気をさすという“気持ち”の問題であれば、本作のやり方でもよいが、身体の問題であれば、無理に続けさせるのではなくて、職を辞めさせることも悪くはないのではないか。
せっかく冒頭で擬似夫婦を演じているのだから、二人が結婚して恩田を退職させればよいハッピーエンド=ファイナルにもなっただろう。
後遺症という訳の分からない言葉を出すのは不満だが、後遺症が原因であれば青島の行動は解決にはならない。

15年に亘るシリーズが終わってしまうことには寂しさを感じたが、君塚良一に脚本を任せるのであれば、このシリーズには発展を期待できない。
プロデューサーの亀山でさえ、抑え切れないほどに膨らんでしまった“踊る”という怪物はもう葬った方がいいかもしれない。
内田有紀、小泉孝太郎、中国人研修生、スリーアミーゴス(シリーズには必要ではあるが本作では不要)といったように不必要なキャラクターが多すぎて、香取慎吾など本来必要な者の出番が無くなるという悪循環に陥るだけだ。
正しいことを堂々と行えるように警察組織を上(官僚)からも下(現場)からも変えたいという熱い想いや身分を超えた友情のようなものは、もはやこのシリーズにはない。
“踊る大捜査線”という製作組織が、警察機構のように凝り固まった利権を争う組織となってしまい、本来描きたかったことが描けなくなくなったように思える。
ミイラ取りがミイラになってしまったか。
スポンサーサイト

テーマ:興行収入ランキング - ジャンル:映画

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。