一・二話で作った公式にただ当て嵌めているだけで、ほとんど独自性が感じられなかった。
新しい試みとしては、スシ勝負で己の包丁までをも賭けることになったくらいか(包丁を返す流れは悪くなかった)。
基本的な流れは同じでもいいかもしれないが、以下の点はまったく真似るのではなく、もうちょっと変化をつける必要があるだろう。
・一柳の刺客が司の修行先に現れて、食い逃げをする。
・師匠から言われた馬鹿馬鹿しい修行を行う(今回は笑いがないのでタチが悪い。そもそも前回と異なり意味がある修行にまったくみえない)
・「親方ひとつ聞きたいことがあるんですが、なぜ修行の時はいつも岬なんです?」「そんなことはどうでもいい」のやり取り(前回はよかったが、今回はまったく笑えない)
・ ヒロインを第三者に奪われる。
・ 包丁をもって交通機関に乗ろうとするのを止められて連行される。
これらを描くこと自体は悪くはないが、あまり笑えないのが問題だ。
もっと創意工夫をすれば、面白いネタとなるのだが。
前回で見習いに敗れた司は自己の慢心を戒(いまし)め、「初心に戻らにゃ」と決心を新たにし、見習いの見習いにしてくれと北山に告げる。
いったんは断られたが、「車を磨く姿」や「水を汲む姿」を見ることで、北山の心境に変化が生じることになる。
だが、“素材”に対して愚直さや謙虚さを表わすことと、“道具”に対して謙虚さを表わすことは違うのではないか。
スシ職人として「初心に戻ること」と「車を磨くこと(モノを運んだり、屋台となったりしている重要なものではあるが)」は相容れないところがある。
あまり前回の対決で学んだことを活かしているようには思えない。
「車を磨く」時間があるのならば、もっと他にすることがあるはずだ。
どことなく、浅さが感じられる流れだ。
究極の醤油を使いこなすことが今回の課題だったと思う。
すべてを入魂しながら、醤油につけることが重要なようだが、穴が開いたオタマをラストに持ち出されてしまっては、お茶を濁された感がある。
粒子を均一化できるとか、魂ではなく自分の命を込めているという説明では納得がいかない。
このオチを描くのならば、あれができるような修行にマッチさせるべきであった。
林田父娘の再生のストーリーとしても描く必要があったが、これを「フカひれ握り」だけで終わらしてしまってはもったいない。
司が初心に戻って、修行をする姿をみることによって、林田のおっさんも何か大切なことを学んでいくのではないか。
自信を失いかけたおっさんに司が間接的に立ち直るきっかけを与えて、逆におっさんも司に対してできることを探すという、視聴者に対して訴える熱いものが感じられない。
また、リアス式海岸のおっさんをチンピラが恐喝していたが、このシークエンスもほとんど活きていないのではないか。
こんなことを描くことで、本編に何か影響しただろうか(野呂山の卵待ちに絡めたかったのだろうが)。
監視船の情報の横流しをしていたことよって、リアス式海岸のおっさんと女将が警察に逮捕されたりして、現在の地位を失うなどまでをきちんと描くべきだろう。
リアス式海岸のおっさんと女将に対して、本編ではほったらかしであり、ペナルティをきちんと与えていないので、中途半端さを否めない。
一柳と司の関係も徐々に明らかになってきた。
西村雅彦さんは、司の叔父さんかと思ったが、そうではないようだ。
司の母「さより」の結婚相手であり、司とは血縁関係にないようだ。
自分の娘や女を奪われたら、米寿一家に対して恨みをもたれても仕方ない。
ラストの相手は誰になるのだろうか?
成宮寛貴という話もあるようだが、その関係性には注目である。
中丸雄一演じる河太郎は今回も完全に放置プレイにあったが、一柳への報告係っぽいように感じられる(携帯電話のやり取りがまさにそれだろう)。
ここまで出番がないというのは、逆に後半への布石ではないか。
もし、一柳への報告係だとすると、前半部分では放置プレイにするのではなく、司との友情的なものをもっと描いた方がいいと思う。
友情で結ばれていたはずの二人が、何らかの理由で敵同士に別れ、最後にはやはり友情を取り戻すという流れの方がすっきりするはずだ。
今までの描き方では、司と河太郎に対して強固な関係が築かれているとは思えない。
これでは、後半部分にいいように活きてこない気がする。
ラストは相変わらずの乱闘で幕を閉じる。
このお約束は「時代劇」に匹敵するのではないか。
「時代劇」のラストのチャンバラは胸がすくような効果が生じるが、この乱闘はほとんど効果のなく意味のないものとなっているのが残念だ。
「時代劇」とは異なり、まだ流れというものを掴んでいない気がする。

